出発点は、ソーシャルゲームなどのランキングにおける世界1位・トップ層の人々が、どのようなことを考え、どのような判断をしているのかを集めて紹介することには需要や意義があるのではないか、という発想だった。特に、自身にも実際に世界1位になった経験があるため、単なる外部からの成功者研究ではなく、トップ層の思考を実体験と照らし合わせながら分析できる可能性がある。語弊がありそうなので補足すると、自慢したいわけではなくて、トップの人たちが見積もってる世界観は濃密な気がするので「影響を受けたくない」という括りの人でさえも、特定トップの空気感からすればトップ候補に該当するみたいなことです。

ただし、重要なのは「世界1位の方法を万人に真似させる」ことではない。人によって能力,性格,動機,環境,投入できる資源などが異なるため、同じ戦略が全員に適用できるとは限らない。むしろ、トップ層の事例から「このタイプの人なら、このような戦い方が比較的近道になりやすい」という型を抽出することに価値がある。これは、強みを発見するストレングスファインダー的な発想を、さらに実践的な「では、その強みをどう使って、どう行動するのか」という段階まで進めるものと考えられる。

そのためには、トッププレイヤーの行動だけでなく、「なぜ1位になりたかったのか」「なぜそこまでやってしまったのか」「そもそも1位を目指していたのか」「1位になった後に何が起きたのか」を知ることが重要になる。同じ世界1位でも、競争に勝ちたい人,改善そのものが楽しい人,自分の仮説を証明したい人,認められたい人など、内部の目的関数は異なる可能性がある。特に、明確に1位を目指したわけではないのに、改善を続けていたら結果的に1位になってしまった人には、「1位になる方法」ではなく「1位に近づいてしまう行動ループ」が存在している可能性があり、そこには一般化できる知見がある。

この考え方は、孔子が人によって教え方を変えた「因材施教」にも通じる。万人に同じ方法を適用するのではなく、その人の性質,能力,状態に応じて成長経路を変えるという発想である。したがって、目指すものは成功者の名言集ではなく、トップ層の実例を大量に集め、「人間の特性 × 環境 × 動機 × 戦略」の対応関係を明らかにすることになる。

そこから話は、人間の能力開発そのものへ広がった。重要なのは「その人に能力があるか」だけではなく、「どういう環境や経路を与えると、その能力が最大限に発現するか」である。能力開発は単純に能力値を上げることではなく、ゲームのスキルツリーのように、経験や他者との関係によって新しい経路を開き、可能な選択肢そのものを増やしていく過程として捉えられる。*スキルツリーは開発途中[誰に何を教えてもらったか,誰から影響を受けたか,どういう環境で着想したか]など

さらにAIや将来的なサイボーグ的技術を考えると、「能力を伸ばす」と「能力を拡張する」の境界が曖昧になる。人間が苦手な記憶,計算,検索,身体操作などを人工システムに任せ、その人固有の強みを最大限に発揮させることができる。すると、従来は「弱点を補って普通に近づける」という能力開発だったものが、「弱点は外部システムに任せ、突出した強みをさらに極端化する」という方向へ変わる可能性がある。

この観点からすると、障害や現在の「普通/異常」という区分の意味も変わり得る。ある機能に制約があることと、その人のシステム全体としての能力が低いことは同じではない。現在の社会で測定しにくい能力や、既存の制度では発揮する機会がなかった能力が、AIやインターフェースによって初めて外部に表現される可能性がある。つまり、弱点を平均的な水準まで補うだけでなく、「制約を外したとき、その人には何が突出しているのか」を探索することが重要になる。

人間全体にどれほど未知の能力が残っているかという問いについては、「未知の能力が何%ある」といった科学的に確立された単一の指標は存在しない。ただし、既存の能力モデルが人間の個人差をどの程度説明できているか,既存の測定では捉えられない能力差がどれだけ残っているか,能力の特殊な組み合わせがどの程度存在するか,人間とAI・道具を組み合わせたときに従来のモデルでは予測できない能力が発現するか、といった観点から「未知の能力空間」を考えることはできる。特に未知なのは、新しい能力そのものだけでなく、既知の能力の特殊な組み合わせや、人間+人工システムによって初めて発現する能力である。

そしてヒューマノイドが登場したとしても、この探索が無意味になるとは限らない。ヒューマノイドが歩行,計算,記憶,身体作業などで人間を圧倒したとしても、「能力の高さ」と「人間にとっての価値」は同一ではないからである。人間がある能力で機械に負けたとしても、その能力が人間の価値体系に接続しているなら、その能力を人間の側で拡張したり、機械側に担わせて別の人間能力を増幅したりする意味が残る。

ここでは「能力」と「価値」を分離して考えることが重要になる。ある能力そのものの性能がヒューマノイドに劣っていても、その能力が別の重要な価値へつながる経路を持っているなら、その能力の研究・拡張には意味がある。したがって、「ヒューマノイドより強くなること」を最終目的にするのではなく、「人間にとって価値のある目的を、どのような人間・AI・ヒューマノイド・外部記憶・身体拡張などの組み合わせによって最大化できるか」を上位の問題として考えることができる。

このように考えると、最初の「世界1位の人の思考を集める」というアイデアは、単なる成功者研究ではなく、人間の能力探索・能力開発・能力拡張へつながる入口になる。トッププレイヤーの極端な成果をケーススタディとして、何が能力を生み、どのような動機が行動を駆動し、どの環境で能力が発現し、どのような経路によって成果へ到達したのかを分析する。そして、その知見を個々人の特性に合わせて適用し、さらにAIやヒューマノイドなどの人工システムと組み合わせることで、これまで発見されていなかった人間の能力を発現させる。

最終的なテーマは、「人間を機械より強くすること」ではなく、人間の能力空間を探索し、その人固有の強みが最大限に発現する経路と環境を発見し、人間にとって価値のある目的に向けて人工システムと組み合わせながら能力を増幅することになる。ヒューマノイドが特定の能力で人間を上回ることは、この探索の終わりではなく、むしろ「では、その能力を人間の価値体系の中でどう利用し、どの新しい能力を人間側に発現させられるか」という次の問題を生み出すものとして捉えられる。